2012年7月13日金曜日

ガス抜き



授業中に、中国では8が「発財(儲かる)」の意味に、9が「久」の意味になって縁起が良く、886が「拜拜喽(さようなら)」、520が「我爱你(愛してる)」になる等、数字の話題になった時に先生(師範大)が、「日本では何か意味のある数字がありますか?」とreechoに聞く。「日本では4が死の発音と同じで不吉」と言ったら、「何か機会があったら日本人に向かって使ってやってくださいね~」等とウキウキしながら言う。中国でも同じ意味がある筈なのだけれどもそんなことは言わない。翌週のテストでは座席番号を書く欄があって、直前に試験官員だった留学生事務室の教員は「座席番号の欄は書かなくて良い」と言うのに、臨時の教員(雲南大)はわざわざ赤字で番号を書いた紙を配って回り(何の順序も無く意味不明)、reechoに「4」の数字を書かせて喜んでいる。日本人、死ね死ね死ね死ね!と言う感じ。 

この近辺の人たちはやたらに写真を撮られるのを嫌がるけれども、特にこの近辺では何か人に与えた情報によって苛められることが多い気がする。何でも悪さに利用する人がいることを配慮すべきと言うか、何か聞かれたら、「别问!(聞くんじゃねえ!)」がまっとうな返事。

雲南大学が出版している「大学生安全教本」を読めば、自習室での座席の奪い合いに激怒して学友を刺し殺してしまった人の例がある。どこの学生なのか不明だけれども、ともかく感情をあまりにも馬鹿正直に表現する人がこの近辺には多い。「見栄を張らず、謙虚に譲り合いましょう」等と指南しているけれども、やたらに見栄を張って威張り、他人を扱き下ろす。嘘でも付いたら少しは思慮深く聡明に見えるだろうに、ともかく赤子の様にストレートに自己表現をする人が多いのである。他人を扱き下ろしまくる、やりたい放題女とやりまくる野性的な人が多い、全く共産主義思想の浸透していない昆明に来て見て初めて毛沢東は実に偉大な革命家だったと思わされたり。正直者がなぜ中国では馬鹿にされるのか、昆明に来るまでreechoは理解出来なかったけれども、あまりにも激しく率直な中国人を沢山見せつけられると、中国人が正直者を馬鹿にする理由を理解せずにはいられないのである。本当に素直にブチキレる人がどれだけ阿呆に見えることやら……。

魚釣島の衝突事件以来、日本人を甚振ったら英雄、と言う気風が強くなっていて、知っているのは英雄として讃えられた船長のみで今の船長がどうなっているかなんてことには全く興味無く、日本人を殺せば英雄、と得意になって日本人を殺す中国人が現れない保証はどこにも無い雰囲気がある。皆に讃えられるならば、何をやっても万事OKである。それで、何かのはずみで中国人を怒らせたりキレさせたりしない様に注意している最近の私、中国人以外の外国人(フィジー人)も日本人を撃つ真似などをして中国人に向かって得意になっているし、ともかく殺されない為の配慮を充分にしておきたいと思う。下の写真は外国人が集うプロテスタントの夕食会にて。右から二番目はレストランのオーナー(中国人)。この日、天井に飾ってあった沢山の国旗のうち日の丸だけが落とされていたりする。

日本人は来るんじゃねえ!!……そんな感じ。

あまり関係なさそうだけれども、中国人には何かにつけて「4」の数字を提示することが非常に効果的な気がする。「死」を頻繁に見せることで、たまりに溜まった日本人に対する不快感や「怒り・呪い」を小まめに抜くことが出来そうな気がするというか。

商店に行けば、何でも極力4つ買う。掛面(乾うどん)を4つ、大豆粉を4つ、風邪薬を4つ。すると、レジ打ちの従業員が喜んで光輝くのである。ほくそえむと言うより飛び上がって喜ぶ感じで、普段はいけず(通せんぼ)する人々も大喜びで邪魔しない。こんなに単純に喜ぶ人々が他のどこにいるのか教えて欲しいと思うほど。「あ、やっぱりもうひとつ追加で、」等と5つ買ったりすると、「こんちくしょう!」とこれまた超ストレートに猛烈に歯軋りしながら悔しがるので、追加は禁物である。こんなにくだらないことで大喜びするならば、喜ばせてあげなければ損である。普段は猛烈に待たせる・間違える・倍以上の値段を要求するとんでもない店員が、やたらに滞りなく順調に仕事をこなすので、4の数字がまたとんでもなく有難く感じられ。

日本人死ね死ね死ね!といわれる前に、2枚の看板に大きく「死」と書いてサンドイッチマンになって歩けば誰も実際に殺そうとしないのではないか、と思ったり。

ちなみに昆明理工大学の留学生事務室及び語学教室がある国際交流学院は現在のところ4号館になります。外国へ出たければ死ね!の脅しがありそうですが(笑)。中国人には喜んで4の数字をひけらかして「ガス抜き」をさせてあげてはいかがでしょう。

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